~好きなスポーツを楽しくいつまでも~ ★藤井順子さん★

今回は、東京パラリンピックにシッティングバレーの選手として出場された、藤井順子さんです。埼玉県障がい者スポーツ指導者協議会の会計を、協議会発足当時から担当していただいています。

19歳の時に交通事故に合い、脚に障害が残りました。それでも身体を動かすことが好きで、東京都障害者総合スポーツセンターへ通い、夏は水泳、冬はスキーをしていました。そしてその後、友人に誘われてシッティングバレーボールと出会ったそうです。

 

*パラリンピックを振り返っていかがですか?

選抜されてからは、姫路市の練習拠点まで月2回、新幹線で金曜日の仕事後に向かっていました。GW過ぎからは毎週ごとに通い、ハードな生活をしていましたね。

コロナ渦で練習ができなかった時期もあり、その時は個々で練習メニューをこなし、仲間とはグループラインで連絡を取り合いながら、状況の確認などをしあっていました。

 

オリンピック中に感染者がますます増え、パラリンピックが行われるのか?とギリギリまで不安でした。それでも、次にはパリ大会があるから、それに向けて練習を続けよう!と仲間とモチベーションを維持し続けました。

 

北京、ロンドン、そして今回の東京と3回出場することができましたが、今回はコロナの影響があり、今までにはない練習体制でした。12分ごとに1回の消毒、こまめな換気、手袋やフェイスシールドの着用の時期もありました。マスクは最後まで着用し練習をしていました。

無事に大会が開催されましたが、いつもと違う無観客試合。応援がないのは寂しかったですが、プレッシャーに押しつぶされず試合に集中することはできました。

東京パラリンピックはあくまでも通過点。まだまだチャレンジしていきたいですし、好きなスポーツをこれからも楽しく続けていこうと思っています。

 

*障がい者スポーツ指導員を取得したきっかけは?印象に残っていることは?

東京都障害者総合スポーツセンターへ通っていた頃に、知人から障がい者スポーツ指導員の話を聞き、平成4年に取得をしました。その頃に埼玉県障がい者スポーツ指導者協議会も発足し、スタートメンバーとしてずっと関わってきました。

活動をしてきて思い出に残っているのは、障がい児の水泳サポートですね。子供たちと水の中でも関われるのは楽しいです。後は、研修会の企画運営ですね。大変ではありましたが、スタッフと会議を重ねて皆さんと共有でき有意義でした。

ぜひ障がい者スポーツ指導員の仲間も増えてほしいです。資格取得をしましたら、ぜひ継続して活動を続けていただきたいですね。